網代 (敷設艇)
網代 | |
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基本情報 | |
建造所 | 日立造船因島造船所[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 敷設挺[2] |
級名 | 網代型[2] |
建造費 | 成立予算 4,334,400円[3] |
母港 | 横須賀[4] |
艦歴 | |
計画 | 昭和16年度[1](マル急計画) |
起工 | 1943年9月6日[5] |
進水 | 1944年4月8日[5] |
竣工 | 1944年7月31日[5][6] |
最期 | 1944年10月1日沈没[6] |
除籍 | 1944年12月10日[7] |
要目(計画) | |
基準排水量 | 720英トン[8] |
公試排水量 | 750トン[8] |
満載排水量 | 769.55トン[8] |
全長 | 74.70m[8] |
水線長 | 73.30m[8] |
垂線間長 | 69.50m[8] |
最大幅 | 7.85m[8] |
水線幅 | 7.85m[8] |
深さ | 4.57m[8] |
吃水 |
公試平均 2.60m[8] 満載平均 2.64m[8] |
主機 | マン式3号10型ディーゼル2基[1] |
推進 |
2軸 x 320rpm[9] 直径2,000mm[9] |
出力 | 3,600馬力[9][5][注釈 1] |
速力 | 20ノット[8] |
燃料 | 重油 35.00トン[8] |
航続距離 | 2,000カイリ / 14ノット[8] |
乗員 |
計画乗員 67名[5](必要に応じて85名まで増員[10]) 74名[1] |
兵装 |
八八式8cm高角砲C型 1基[11] 13mm連装機銃 1基2挺[11] 九四式爆雷投射機1基[12] 爆雷投下台10基[12] 爆雷軌道1本[12] 爆雷 36個[12] 九三式機雷1型 120個[1][12](または5号機雷130個か九二式機雷18個[12]) (または九六式2号防潜網2組か一四式捕獲網8組)[1][12] |
搭載艇 | 6m内火艇1隻、6mカッター2隻[13] |
ソナー |
九三式水中聴音機1組[14] 九三式探信儀三型1組[14] |
網代(あじろ)は、日本海軍の敷設艇[2]。艇名は神奈川県三浦半島の南部、相模灘に臨む網代埼による[15]。ただ徳島県南東部や岡山県牛窓港口の前島にも網代埼が、岡山県水島港沖に網代島がある[15]。
日本海軍が定めた艦艇類別等級(別表)では網代型敷設艇の1番艇[16]で、網代が測天型や平島型[17]に含まれたことはない。
概要
[編集]網代は元々マル急計画で建造が予定された基本計画番号H13、タービン主機で出力3,850馬力、速度20ノットとし諸寸法は測天型と同一の、測天(基本計画番号H11)や平島(基本計画番号H11B)とは別設計の敷設艇だった[18]。しかし戦況の悪化に伴い平島に準じた艇型として急速建造に適するよう設計を若干簡易化した[18]。簡易化された設計の基本計画番号は伝えられていない。[要出典]竣工したのは計画された全26隻中網代だけで、他は未起工のまま建造中止となった[19][20][21][22][23]。
艇型
[編集]一般計画要領書のH13第460号艦型の注釈として「註. 上記計画ハ(以下記載ノモノモ同様)急速建造艦ニシテ第一七〇号艦ノ計画ヲ其ノ侭使用ス.」[8](第一七〇号艦は「平島」のこと)とあり、主要要目は平島型と全て同一である[注釈 2]。ただし舵のみ平島型では半平行舵だったが[24]、網代では平行舵として[25]面積を増大し、旋回半径を小さくする計画だった[注釈 3]。また機銃はマル急計画の「網代」以下14隻は平島型と同じ13mm連装機銃1基の計画だった[11]。
艇歴
[編集]1943年(昭和18年)9月6日、日立因島造船所で起工[5]。1944年(昭和19年)3月15日「網代 (アジロ)」と命名[26]、同日艦艇類別等級表で敷設艇に類別[2]、本籍は横須賀鎮守府と仮定された[27] 。4月8日進水、7月31日に竣工[5]して横須賀鎮守府籍[4]、呉防備戦隊所属[28]となり諸訓練に従事した[6]。
8月25日横須賀防備戦隊に編入[29]。9月10日から横須賀-小笠原間の船団護衛に従事した[6]。
10月1日、父島への船団護衛の途中、父島北西方の北緯28度20分、東経139度25分においてアメリカ潜水艦「スナッパー」の雷撃を受け沈没した[6]。12月10日に除籍された[7]。
竣工後2カ月ほどで沈没した「網代」の写真は発見されていない[1]。
同型艇
[編集]網代型で竣工したのは網代1隻だけだが、マル急計画では網代以下14隻、改⑤計画でさらに12隻が計画された。それらを以下に記す。
「海軍造船技術概要」に記載の改⑤計画艇の要目は網代の(一般計画要領書による)要目と若干違い(計画番号は同じH13)、船体の深さが若干増し主機にタービンを搭載、主砲に12cm単装(高角)砲[注釈 4]1基、機銃は25mm連装機銃1基などの違いがある[33]。主要要目は以下の通り[33]。
- 基準排水量:720英トン
- 公試排水量:750トン
- 水線長:73.3m
- 水線幅:7.85m
- 深さ:4.66m
- 吃水:2.60m
- 推進:2軸
- 主機:タービン
- 馬力:3,850shp
- 速力:20ノット
- 燃料:重油35.0トン
- 航続力:2,000カイリ/14ノット
- 兵装
- 12cm単装(高角)砲[注釈 4] 1基
- 25mm連装機銃 1基
- 九五式爆雷 36個
参考文献
[編集]- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9。
- 『世界の艦船』No.130、海人社、1968年6月。
- 『日本海軍護衛艦艇史』 世界の艦船 1996年2月号増刊 第507集(増刊第45集)、海人社、1996年2月。ISBN 4-905551-55-2。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<2> 開戦以後』 戦史叢書第88巻、朝雲新聞社、1975年。
- (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年)。ISBN 4-562-00302-2。
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』光人社、1990年9月。ISBN 4-7698-0464-4。
- 「敷設艇 一般計画要領書 附現状調査」。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『昭和19年4月1日~昭和20年2月28日 呉鎮守府戦時日誌(4)』。Ref.C08030329600。(昭和19年7月呉鎮守府戦時日誌)
- 『昭和19年4月1日~昭和20年2月28日 呉鎮守府戦時日誌(5)』。Ref.C08030329700。(昭和19年8月呉鎮守府戦時日誌)
- 『自昭和19年1月 至昭和19年7月 内令/昭和19年3月(1)』。Ref.C12070194700。
- 『昭和19年7月.昭和19年8月 内令員/内令員 昭和19年7月(5)』。Ref.C12070211200。
- 『昭和19年8月~9月 秘海軍公報/8月(1)』。Ref.C12070495900。
- 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/12月(2)』。Ref.C12070498200。
- 『昭和19年10月31日現在 10版 内令提要 巻1下/第3類 定員(10)』。Ref.C13072050300。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 「#一般計画要領書(敷設艇)3頁では3,500馬力になっている。
- ^ #一般計画要領書(敷設艇)各頁の値を比較。
- ^ 「#一般計画要領書(敷設艇)40頁による平島型の「舵面積」は3.56平方メートル、旋回性能欄の「最大縦巨ト吃水線トノ比」は4.0に対し、同41頁の第460号艦型(網代型のこと)のそれは4.07平方メートル、比は3.7。
- ^ a b #海軍造船技術概要下巻p.1600、新艦船主要要目一覧表(其の二)には高角砲と明示していないが、他艦の状況から高角砲と思われる。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g #日本海軍護衛艦艇史p.94。
- ^ a b c d #自昭和19年1月至7月内令/昭和19年3月(1)画像32、昭和19年3月15日附内令第437号『敷設艇、測天型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 網代型 | 網代 |』(妙録)
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.815
- ^ a b #S19.8-9秘海軍公報/8月(1)画像14、秘海軍公報第4760号(昭和19年8月5日)p.1049『内令第九〇九號 (中略) 敷設艇網代 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 横須賀鎮守府在籍 敷設艇網代 右警備敷設艇ト定メラル(中略)昭和十九年七月三十一日 海軍大臣』
- ^ a b c d e f g #昭和造船史第1巻pp.796-797。
- ^ a b c d e #写真日本の軍艦第14巻p.110。
- ^ a b #S19.9-12秘海軍公報号外/12月(2)画像18、昭和19年12月10日附内令第1340号
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 「#一般計画要領書(敷設艇)3頁。
- ^ a b c 「#一般計画要領書(敷設艇)21頁。
- ^ 「#一般計画要領書(敷設艇)24頁。
- ^ a b c 「#一般計画要領書(敷設艇)6頁。
- ^ a b c d e f g 「#一般計画要領書(敷設艇)9頁。
- ^ 「#一般計画要領書(敷設艇)27頁。
- ^ a b 「#一般計画要領書(敷設艇)18頁。
- ^ a b #聯合艦隊軍艦銘銘伝p.573。
- ^ 「昭和19年3月15日付 内令第437号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070194700
- ^ 「平島型」の艇型名は艦艇類別等級(別表)上存在しない。
- ^ a b 世界の艦船 『日本海軍護衛艦艇史』、p. 94。
- ^ 戦史叢書 『海軍軍戦備(2)』、pp. 71-74。
- ^ 戦史叢書 『海軍軍戦備(2)』、p. 95。
- ^ a b c #海軍造船技術概要下巻pp.1535-1536
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.817
- ^ #戦史叢書88海軍軍戦備2p.43
- ^ 「#一般計画要領書(敷設艇)40頁、平島型(平島)復元性能。
- ^ 「#一般計画要領書(敷設艇)41頁、第460号艦型(第460号艦)復元性能。
- ^ 「昭和19年3月15日付 達第70号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070124300
- ^ #自昭和19年1月至7月内令/昭和19年3月(1)画像40-42、昭和19年3月15日附内令第445号
- ^ #昭和19年7月呉鎮守府戦時日誌画像56、作戦経過概要 昭和19年7月 呉鎮守府、31日の役務編成、配備行動『海防艦鵜来及海防艦網代ヲ呉防戦ニ編入』
- ^ #昭和19年8月呉鎮守府戦時日誌画像48、作戦経過概要 昭和19年8月 呉鎮守府、25日の役務編成、配備行動『二.海防艦網代ヲ呉防戦ヨリ除ク(横防戦ニ編入)』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 世界の艦船 『1968年6月号』、p. 65。
- ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』、「大島」の項。
- ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』、「利島」の項。
- ^ a b #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1600、新艦船主要要目一覧表(其の二) 昭和18年9月1日 艦本總二課。